女性のピン芸人として大人気のいとうあさこさん!
芸人としては遅咲きのブレイクとなりましたが、今ではCMやバラエティーなど引っ張りだこの人気ぶりで、そのいとうあさこさんならではのはっきりとした物言いとキレのあるトークでお茶の間を賑わせています♪
そんないとうあさこさんの下積み時代やかつての相棒だという大輪教授とは一体どんな人物なのか気になったので調べてまとめてみました!
また都内の名門女子高に通っていたといういとうあさこさんが芸人を目指すきっかけとなったのはなんだったのかについても調べてみましたので、ぜひ最後までチェックしてみてくださいね♪
画像引用元
いとうあさこ、最も信頼する“運命の男性”が半生語る 54年間の苦労の歴史を公開タレントのいとうあさこが、きょう11日放送の日本テレビ系バラエティー『おしゃれクリップ』(毎週日曜後10:00)にゲスト出演する。いとうは、小学校から都内屈指の名門・雙葉学園へ通うまじめな少女としての...
いとうあさこさんの相棒・大輪教授
大輪教授は、いとうあさこさんが下積み時代からの付き合いで、2007年に雑誌「TOKYO一週間」の企画で「M-1グランプリ2007」に大輪教授とともに出場したことがきっかけで進行が深まったそう。
いとうあさこさんは、大輪教授に寄せて「いとう★教授」として出場し、3回戦まで勝ち進みました。
当時初めて共演した際に、大輪教授はいとうあさこさんに「強く惚れた」存在だったと語っており、2人はその後も交流が続いたのだそうです。
現在では芸人を引退しており、構成作家として働きつつプロダクション人力舎の養成所スクールJCAの講師もされています。
大輪教授の最後の出演ライブには、エンディングにいとうあさこさんも駆けつけ、功労を労うほどの仲でした!
画像引用元
大輪教授のプロフィール | お笑いTV大輪教授の情報ページ | お笑い芸人やお笑い動画情報をお届け。ライブレポートやお笑い芸人ごとにライブ情報や動画を幅広く提供いたします。
|
いとうあさこさんが芸人を目指したきっかけは?
いとうあさこさんは都内で生まれ、昔からかなりのテレビっ子だったそう。
父が銀行家で資産家でもあったため、裕福な家庭で育てられ、学校も都内で「女子御三家」と有名な雙葉学園を卒業しており、最終学歴は雙葉高等学校の舞台芸術学院ミュージカル別科を卒業しています。
卒業後、周りはみんな大学へと進学する中で、いとうあさこさんは19歳で妹と一緒に家を飛び出してしまったんだそう!
遅めの反抗期とシンガー・ソングライターの尾崎豊さんに憧れを抱き、大人の言う通りに動かず、自分のやりたいように生きるということにかっこよさを感じていたのだそうです。
とにかく家を出て、最初はただひたすらにバイトをして朝の6時から夜の22時まで働いたり、月60万稼いだりしていたけど、お金って余るんだなと気づき、バイト先で出会った男性の借金を毎月少しずつ返済してあげたりしていたそうです。
いとうあさこさんが23歳ぐらいの頃に男性の借金返済額も落ち着いてきて、そこで夜学のミュージカルの専門学校に通い始めています。
いとうあさこさんがやりたかったのは、昔から大好きだった伊藤四郎さんやいかりや長介さんのような喜劇と悲劇の両方を演じることのできる役者でバラエティ番組の「ボキャブラ天国」の「ネタ見せ」と呼ばれるオーディションに参加しました。
そこで知らない芸人さんが100人ぐらいいて、初めてこの世界って簡単じゃないんだなと気づき、この世界を突き詰めてみようかなと思い立ったのだそうです!
そこからブレイクするまでの道のりはとても長く、ただただ芸人をやりながら牛丼屋で深夜バイトをするという生活でした。
40歳を過ぎると体もキツくなってきたり、このまま牛丼屋の深夜バイトを続けられるのか心配になることもあったそうですが、逆に芸人としての活動には辞めるという考えはなく、自分の勘が働いて自分の心に聞いてみたときにまだやれると続けられたそうです!
そうして自分を信じて一度決めたことをひたすらに続けることはなかなか誰にでもできることではないですよね。
売れるまで本当に長い大変な下積み時代を経験されたいとうあさこさんだからこそ、他の誰にもない強い信念や簡単には自分を曲げない芯の強さがあるのかなと思いました!
そんないとうあさこさんのこれからの活躍や喜劇や悲劇を演じてみたいという願いが叶うところを見てみたいと思ったし、おしゃれクリップでの自信の過去を振り返ったお話なども聞いてみたいですね♪
画像引用元
いとうあさこ、小さい頃に集めていたのは給食でおなじみの“レトロな”一品 「昭和でしょ~!」と思い出を熱弁|entax(エンタックス)お笑いタレントのいとうあさこが、「“まるで新品のようなフタが取れる”」と小さい頃に集めていたという給食でおなじみの牛乳キャップにまつわるこだ
|
まとめ
大輪教授はいとうあさこさんが下積み時代にお互いをよく知る戦友のような存在で、大輪教授は今では芸人を引退しましたが、今でも2人は親交があり、お互いをリスペクトする仲。
いとうあさこさんが芸人を目指したのは、19歳の頃に遅めの反抗期で家を飛び出し、ひたすらにバイトをしまくって、23歳でミュージカルの専門学校に通い始めました。
そこで大好きだった伊藤四郎さんやいかりや長介さんに憧れて喜劇や悲劇を演じれる役者を目指し、この世界を突き詰めようと決心しました。
今回いとうあさこさんについて調べてみて、ますますこれからの活躍や演技の面に関しても活躍していってほしいし応援したいなと思いました!
画像引用元
いつも元気な、いとうあさこさんに神様がくれたふたつの力とは?(インタビュー/後編)長い下積みを経て、40歳直前で大ブレイク。 ピン芸人として活躍する一方で、劇団「山田ジャパン」に所属する一俳優として舞台に立ってきた。
コメント