えとう窓口は借金生活で貧乏だった?苦労の下積み時代とは?!<有吉木曜バラエティ>

お笑い芸人
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お笑いコンビWエンジンのツッコミ担当・えとう窓口さん!

最近はあまりテレビでは見かけませんが、実は結婚されていて子供も二人いる二児のパパとして日々、子育てやお仕事に奮闘されています!

どちらかというと相方のチャンカワイさんの方が有名となってしまい、じゃない方芸人と言われてしまうほど、最近ではお仕事は少ないようです。

ですが今回は有吉木曜バラエティで、実家での極貧生活や借金による苦労の日々など、えとう窓口さんの過去について語られるようです!

苦労されてきたえとう窓口さんの借金生活や芸人を目指し始めた頃の下積み時代の苦労などについて調べてまとめてみましたので、是非最後までチェックしてみてください♪

 

えとう窓口のプロフィール

本名   江藤嘉洋(えとうよしひろ)

生年月日 1973年4月23日(2024年10月現在51歳)

出身地  大分県大分市

身長   170cm

趣味   地図を見ること・ボーリング

家族構成 母・3歳年上の姉・16歳年下の弟の4人家族

画像引用元

Wエンジン・えとう窓口が結婚、証人は相方と「劇的ビフォーアフター」匠
Wエンジン・えとう窓口が結婚したことを、所属事務所のワタナベエンターテインメントが本日11月12日に発表した。

借金生活で貧乏だった?

えとう窓口さんは、父親が高校教師をしていたそうなのですが、途中で辞めてしまって自営業を転々とし、借金生活となってしまったのだそう。

ですが頼みの綱の父親は、その後お酒やタバコで体を悪くし、高血圧で入院してしまいます。

弟が生まれて程なくして父親は他界してしまい、家には多額の借金と3人の子供が残されてしまいました。

生活は苦しく、母親は女手一つで3人の子供を精一杯育ててくれたそう。

家には毎日借金取りが来て、中学時代は新聞配達のアルバイトをして家計を支えていました。

当時は毎日借金取りが来るものの、父親は入院中で母親はパートに行っていて、家にはえとうさんしかおらず、「両親いないんです」というと、「じゃあまた来るわ」といったやり取りが度々行われていたそうです。

毎日くる借金取りに申し訳なく感じたえとうさんは、自分の新聞配達のアルバイトのお金を少しずつ立て替えて返金に充てていたんだそうです。

ですが年末に遂にアルバイト代も底をついてしまい、返せるお金が全くなくなってしまい、「お金が全くない、すいません」と謝ると、その借金取りが「今日はいいよ。いつもありがとうな」と言って大きなクリスマスケーキをくれたそうです。

えとうさんはその日の出来事を涙ぐみながら語られています。

家族みんなで支え合いながらも、貧困に苦しんでいたえとうさん一家ですが、それでもアルバイトしたお金を両親がいない間に少しずつでも返済する中学生のえとうさんの実直で懸命な姿に、その方も心を痛めて、せめてクリスマスぐらいは子供には笑っていて欲しいと思ったのかもしれませんね。

こういった人の優しさが、大変な子供時代を過ごしてきたえとうさんを支えてくれていたのかなと思いました。

画像引用元

えとう窓口 | ワタナベエンターテインメント
ワタナベエンターテインメント公式サイト。お笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人まで幅広い所属アーティストのプロフィールや最新情報などをお届けします。

 

えとう窓口の下積み時代

えとう窓口さんは、高校卒業後、上京して大学に通い、大学卒業後にはNSC大阪校へ18期生として入学されています。

そこでチャンカワイさんと出会い、コンビを組んで上京し、レッドカーペットなどのお笑い番組に度々出演し、少しずつ注目を集めました。

それでもなかなか売れるまでの道のりは長く、35歳までずっとアルバイトをしながらの活動だったそう。

少しずつテレビにも出してもらえる回数が増えてきて、大分の実家を「劇的ビフォーアフター」でリフォームする機会があり、初めて親孝行できたと親子愛を見せています。

その番組がきっかけで、常々地元大分愛をテレビでもアピールしていたこともあってか、大分の番組でのオファーも増えたんだそう。

その後千葉県富津市に人生で初めてマイホームを買い、同年にリフォームの時の恩人に女性を紹介してもらって、その年のうちに結婚されています。

苦しい子供時代を過ごしてきたえとうさんですが、その辛い日々を乗り越え、周りの人たちに恵まれて、幸せを掴み取ったんだなと感じました。

今は地元大分に家族で移住し、地元番組のレギュラーを務めたり、大分のために仕事をしようと活動されています。

コロナ禍を経て、営業もできなくなって、一時期は知り合いの農家でアルバイトをして食い繋いだりと、ギリギリの局面もあったそうですが、二人目の子供が産まれたタイミングで大分に移住し、地元を盛り上げていくという覚悟を決めたそうです。

コロナも落ち着いて、ますますこれから地元大分でのお仕事に精が出るえとうさんの、活躍を応援したいなと思いました!

またいつかチャンカワイさんとも共演するところを見たいですね♪

画像引用元

「Wエンジン」えとう窓口、第二子の誕生を発表「家族が4人になり。人生の楽しさ4倍」 - スポーツ報知
お笑いコンビ「Wエンジン」えとう窓口(46)が11日、自身のブログを更新。第二子となる男児が誕生したことを報告した。

 

まとめ

えとう窓口さんは、実家が借金を抱えていて、とても貧しい生活を送っていた。

借金取りが毎日家に来て、自分の新聞配達のアルバイト代を少しずつ切り崩して返済に充てていた。

下積み時代は売れるまでに時間もかかり、35歳までアルバイトしながらの生活だった。

コロナ禍で営業ができなくなり、再び仕事が取れなくなったが、地元大分への移住を決意し、地元での番組を中心に仕事をこなし、大分愛を発信している。

今回、えとう窓口さんの過去について調べてみて、一見苦労の絶えない大変で壮絶な人生のように思えますが、お笑い芸人の夢を叶え、親孝行をしたり素敵な奥さんと子供に恵まれるなど、多くの幸せを掴み取っています。

それはえとうさんの辛い時も腐らず、人に優しくしたり感謝することを怠らない誠実な人柄があったからじゃないかなと感じました。

地元大分での新たなスタートを切ったえとうさんのこれからの活躍を願いたいですね。

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