お笑い芸人平成ノブシコブシの吉村崇さんですが、そのトーク力や大きなリアクション、言葉の引き出しが多く、最近ではバラエティー番組だけではなく、番組の司会者を務めることも多く多彩な才能を活かし、様々な場面で活躍されています!
そんな超売れっ子芸人の吉村さんですが、芸能人ならではの買い物による失敗談も多くあるようです。
また芸人になろうと思ったきっかけや売れる前の下積み時代のエピソードも調べてまとめてみましたので、是非最後までチェックしてみてくださいね♪
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吉村崇さんの買い物失敗談
吉村さんはかなりの売れっ子芸人で、レギュラー番組もいくつか持っており、金銭面での苦労はないと言えるでしょう。
実際吉村さんは年収も多くそれだけ自由にお金を使える余裕のある暮らしをしていると思われます。
さらに、自身の給料と同じ家賃の家に住んだりと、かなり贅沢でお金を使うことへの躊躇いのない少し変わった金銭感覚を持っているようですね。
そんな吉村さんは現在独身を貫いており、独り身を謳歌しているようです。
結婚願望も特にないようで、自身曰く絶対浮気をするからそれを受け入れてくれる女性が良いとのことでした。
今はまだ独り身の自由な暮らしを楽しみながら、将来的に良い人がいないか募集中のようですね♪
自身のインスタグラムでの投稿で、「やる事が無さすぎてジンギスカンの鍋を買ってみた」と鍋の写真をアップしており、しかし購入したものの「重い 南部鉄器だ でかい ファミリー用だ 本格的IHに対応して無さそうだ」と思っていたものと違ったような反応のコメントしていました。
「外にも出れないし部屋でフリスビーとして使ってやるか」とユニークなジョークを交えたコメントも添えられていました。
また吉村さんは投資や仮想通貨、株取引などに挑戦していたそうでその全てに失敗してしまい、大損してしまったのだそう。
吉村さん曰く、MCにはどこか我が強く、譲れない部分がないといけないが、吉村さんにはそれがなくあまりにも台本通りなのが自身の中で自分の立ち位置が嫌いになってしまった理由としてあったのだとか。
そして他の大物MCの共通点は「みんな大金持ち」だと気づき、「投資で儲けたら、俺もそこのレベルまで行くんじゃないか」と賭けに出たのだそうです。
あまりにも驚きの理由ですが、やはり勉強不足だったのか大失敗に終わってしまいます。
仮装通貨でも大損してしまい、貯金が100分の1にまで激減してしまったため、さらに貯金を作ろうと思って別のことに手を出してまたさらに失敗して預貯金額が数百万円にまで減ってしまったと嘆かれていました。
今はコツコツ台本を読んで、投資などには手を出さず、自分のMC力を磨いているようです。
吉村さんは車好きなこともあり、43000万円ほどの高級車マクラーレン720Sを借金してまで購入したり後輩芸人のお見送り芸人しんいちさんに高級車で2000万円ぐらいするBMWをプレゼントしたりと、派手なお金の使い方をされています。
自身でも反省しているようで、「迷ったり色々考えてしまうと、わからなくなって、いっちゃえ!ってなってオールインのフルベッドやっちゃう。どうやったら治るんだろう、この性格。」と苦笑しながら反省している様子で語られていました。
コツコツ堅実にこなすのではなく、大きなことに手を出してしまうのは破天荒な吉村さんらしくもありますね。
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吉村崇さんが芸人になったきっかけは?
吉村さんは北海道札幌市西区八軒出身で、吉村さんが6歳の時に両親が離婚しており、父と祖父母と共に暮らしていました。
特に祖母は厳格で礼儀などを厳しく教えられていたのだそう。
吉村さんが高校生の時にお笑い番組を見た影響でお笑い芸人を志しました。
本人曰く、初めは軽い気持ちだったけど上京する時に育ての親でもある祖母に「俺はおばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだ」と言って別れてしまい、その1ヶ月後に祖母が急死してしまったことから、芸人を辞める事ができなくなったと語られています。
上京後は東京NSC5期生として経験を積み、いろんな人とコンビを組んでは解散を7回も繰り返し、2000年に徳井健太さんとコンビ平成ノブシコブシを結成しています。
養成所卒業時は2人とも解散を繰り返して1人きりの状態で焦りを感じた2人は余り物同士でくっついてできたコンビだったそうです。
当初は2人ともお互いに対して何の期待もしていなかったといいます。
そんな余り物同士の2人だからこそできた化学反応とも呼べる未知の笑いは、計算されたお笑いではなく、それぞれの違った個性を活かした周囲を巻き込みギョッとさせる徳井さんのナチュラルな破天荒なキャラクターと、バラエティー性に富んだ誰が見てもわかりやすく安定したキャラクターを持つ吉村さんの2人ならではのバランスの取れた才能同士が出会ったコンビだと思います。
吉村崇さんの下積み時代
若手時代、相方の徳井さんと初めての打ち合わせの時、徳井さんがオレンジの髪色に夏なのにウインドブレーカーで現れたことから、これから相方としてやっていけるのか不安になったそうです。
当時相方である徳井さんは、アルバイトをするわけでもなくひたすら借金を繰り返し、交際相手の彼女に生活費を出してもらうというヒモ生活をしていたそう。
しかし吉村さんは当初コンビニのアルバイトや少し変わった市場調査のようなアルバイトなど、いろいろ苦労をしたのだそうです。
その後、「第二回世界キワモノ演芸」で、炊飯器による腹話術の芸を披露し優勝したり、「やりすぎコージー」で吉村さんが上半身裸で脇を鳴らすという特技を披露したりと徐々に知名度をあげていきました。
しかし、いくつかのバラエティー番組には呼ばれるようにはなったものの、本格的なブレイクとまではいかなかったそう。
悔しい思いを抱えつつ、時は流れ、2010年「(株)世界衝撃映像社」という番組でさまざまな芸人が世界各地に赴き、取材や衝撃的な映像を撮ることに挑むという番組に出演。
その中でも特に平成ノブシコブシのロケは大ヒット企画となりました!
その理由は、低迷期が長く続き、徳井さんが半分開き直っていたこともあり、自由奔放に好き勝手な振る舞いをすることで笑いを呼び、話題となったからです。
また徳井さんはこの番組内で突然「実は5年前から結婚している」という話をぽろっと口にしており、吉村さんは相方でありながら全く知らなかった事実に驚きとなぜこのタイミングで告白したのかと呆気に取られていたそうです。
以前までは吉村さんの方が破天荒キャラとして認知されていましたが、この番組によって徳井さんの方が本物の破天荒であることが証明されたのです。
そしてこの時期に人気を博していたのが同期に当たるピースの2人でした。
そしてピースの2人が出演するコント番組「ピカルの定理」が始まり、平成ノブシコブシもレギュラーとして選ばれています。
この番組でのノブコブの吉村さんとピースの綾部さんが男性同士で密かに愛を育む「ビバリとルイ」というコントが人気となります。
その後は吉村さんが徐々にバラエティータレントとしての地位を確立していき、「破天荒」を名乗る、一見強気に見える振る舞いだけど本当は何もできずに笑って誤魔化すダメなやつというキャラクターで真面目で一生懸命な本当の吉村さんの性格が透けて見えて一躍人気芸人となりました。
時には投げやりになったり、枠に収まらず破天荒な行動をとることもテレビというエンタメの世界で生き残るためには必要な勇気と才能かもしれませんね。
そういう意味では、平成ノブシコブの吉村さんと徳井さんはまるで正反対の性格にも見えますが、それが逆にお互いの才能やいいところを引き出すきっかけとなったのかもしれないなと思いました。
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まとめ
①吉村崇さんの買い物失敗談
吉村崇さんは主に投資や株、仮想通貨などに手を出して失敗した経験が多い。
考え出すとわからなくなって、やっちゃえっ!と考えなしに高額を注ぎ込んでしまうのだそう。
②吉村崇さんが芸人になったきっかけ
吉村さんは高校生の時にお笑い番組を見た影響でお笑い芸人を志し、初めは軽い気持ちだったけど上京する時に育ての親でもある祖母に「俺はおばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだ」と言って別れてしまい、その1ヶ月後に祖母が急死してしまったことから芸人を辞めることができなくなったと語られています。
③吉村崇さんの下積み時代
賞レースでの優勝やバラエティー番組での大抜擢などブレイクのきっかけらしいものは特にはなく、苦労した時期もあったけど、それぞれの個性を活かし開き直ったり自分らしい素の芸風を出すことによってじわじわ登り詰めました。
今回、吉村崇さんや平成ノブシコブシの過去について調べてみて、気づくとテレビで見ない日はないほど活躍している吉村さんのあまり知られていないブレイクのきっかけを知ることが出来ました。
吉村さんのトーク力や司会力は芸人らしい大きくてわかりやすいリアクションと、メリハリのあるキリッとした役回しなどとても見やすくて吉村さんがMCならきっと大丈夫だなとかおもしろいだろうなと安心感がありますよね!
今回はそんな吉村さんの過去や失敗談などをまとめてみました!
これからも吉村さんの活躍する姿を応援して行きたいですね♪
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